講師の紹介

木村 幸子(きむら さちこ)

 

1976年、京都市伏見区生まれ

大阪芸術大学芸術学部音楽教育学科卒業

教員免許取得(音楽中学校教諭1種、音楽高等学校教諭1種)

佛教大学通信教育課程教育学部教育学科にて

教員免許取得(小学校教諭1種)

京都市立小学校、京都府立中学校にて7年間の講師経験有り

幻想組曲「粟嶋神社」レコーディングにコーラスとして参加

剣道初段

「育脳ピアノレッスンの教科書」セミナー全講座受講修了

グレンツェンピアノコンクール入賞

 

高校3年生の夏にピアノの先生から「音大・芸大に合格できそうにない」という理由で見放されるが、

新たに指導して下さる先生に出会い、推薦入試で大阪芸術大学に現役合格。

この経験から、ピアノが弾けるようになりたい人の気持ちを大切にする指導者を志す。

 

大学在学中から自宅でピアノ教室を始める。

2003年からはピアノ教室を主宰しながら、講師として7年間に5つの学校で教鞭を執る。

2010年に中学校音楽科教科主任として勤務したのを最後に、結婚して京都から東京へ引っ越す。

2018年に子どもが小学校に入学したのを機にピアノ教室を再開。

 

ピアノ指導歴約25年

 

小学生の娘と夫の3人暮らし

 

プロフィール詳細は下記をご覧ください。


 

教室での様子や、講師の日常などのブログは「ピアノ教室.COM」サイトにございます。

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プロフィール詳細

ピアノとの出会い

ピアノの先生と言えば、親も音楽に携わる仕事をしていたのではないか、

と思われるかもしれませんが、

私の育った家庭は、普通のサラリーマン家庭でした。

クラシック音楽とは無縁の生活。

小さい時は童謡はよく聞いていたように思いますが、

クラシック音楽が流れていた記憶はありません。

親の好きな音楽は演歌でした。

 

そんな私がピアノと出会ったのは、

近所のお友達がきっかけでした。

同じ幼稚園に通っていたメグミちゃんが

いつからか、ピアノを習っていることを知り、

私もピアノが習いたい!と親に頼んだのです。

 

けれども、ピアノは高級品。

今のように、とりあえず電子ピアノで・・・

という人はおらず、ピアノのレッスンに通うなら

アップライトピアノを準備するのが当たり前でした。

  

きっと親も悩んでのことだと思うのですが

「1年経って、まだピアノがしたかったら習わしてあげる」

と言われてしまいました。

 

その間に親は、ピアノを買うお金を貯めようと考えたのでしょう。

1年経ってもピアノを弾きたい私の気持ちは変わらず、

近所のピアノ教室に入会し、ピアノを買ってもらいました。

「ピアノ買ったんだから、辞めちゃだめよ」

と約束しました。

 

嬉しくて、嬉しくて、

レッスンで宿題にされていない曲まで

どんどん練習していきました。

(正しい音で練習していたかどうかは謎ですが・・・)

 

 

小学校低学年時代のこと

小学校入学前にやっとピアノを買ってもらった私は、

真面目に練習に取り組み、メグミちゃんが練習している曲を抜いていきました。

1年間待たされていたので、ピアノが弾けることが嬉しくて仕方無かったのだと思います。

 

弾けるようになりたい曲は「エリーゼのために」

 

親戚のお兄さんのお下がりで貰った百科事典シリーズに音楽事典があり

有名な作曲家のエピソードと共に、有名なクラッシック曲のレコードがついていて、

それを聴いて、素敵な曲だな、弾けるようになりたいな、と思ったからです。

 

小学2年生くらいで無理やり「エリーゼのために」が弾けるようになりました。

同級生は誰もやっていなかったので、「もう、そんな曲が弾けるの?すごいね」

と言われていましたが、たぶん、とても下手だったと思います。

 

 

小学校高学年時代のこと

練習することが苦では無かったので、そこそこ教本は進んでいきました。

当時、通っていた教室の発表会はなんとなく年齢順ですが、

後ろの方へいくほど、レベルが高い人が弾くことになっていました。

私は同じ学年の子のグループの中ではいつも一番最後か、

ひと学年上のグループに混ざってプログラムが組まれていました。

 

周りのお友達からも「さっちゃんは、ピアノが上手」

と言われていたので、自分でも、私は上手なのだと思い、練習していました。

 

学校の文集では”将来の夢はピアノの先生かピアニスト”と書くようになっていました。

 

 

中学生時代のこと

中学生になると、部活動が始まります。

ピアノが弾けるので、吹奏楽部に入部しようかとも思ったのですが、

音楽ばかりやっていても面白くないと思い、剣道部に入部。

 

小学生時代、土曜日の午後にピアノのレッスンに通っていました。

中学校の前を通ると、剣道部の人が練習している姿が見えて、

道着を着て剣道している姿が、すごくカッコよく見えていたからです。

 

副キャプテンを務めて、剣道初段の試験にも合格しました。

 

ピアノの練習は疎かになっていきました。

夕方6時くらいまで剣道をして、帰って宿題したり、塾に行ったり・・・

 

1週間はあっという間に経ち

「今週は片手しか練習していません!」

と言ってピアノのレッスンに通っていました。

 

片手しか練習していないし、きっと、音もいっぱい間違えていたと思います。

けれども、先生は優しくレッスンしてくださっていたので、

ピアノを辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。

 

学内の合唱コンクールではいつもクラスのピアノ伴奏をしていました。

 

クラスにピアノが弾ける子が複数いる時は、2曲のうち、1曲ずつに分けて担当させられていました。

3年生の時、運動会でピアノ担当のもう一人の子が骨折してしまいました。

合唱コンクールは1週間後。

音楽の先生から「来週だけど、もう1曲も、伴奏やってくれ!先生はこの曲は弾けない!!」

とモルダウの楽譜を渡されました。

間奏の部分が難しくて、ピアノ専攻では無かった音楽の先生は「俺はバッハも弾けない!無理」

と言ってきたので、めちゃくちゃ練習して、なんとかミスなく弾き切りました。

 

「1週間で伴奏仕上げた!すごい!」

と評判になり、私も自分は上手なんだ、と、ますます思い込むようになっていました。

 

 

高校生時代のこと

高校は地元の普通科に通いました。

部活動は、剣道部は初段も取ったし、夏は暑く、冬は裸足で寒いので、

爽やかなのが良いな、と思い、硬式テニス部に入部。

夏のテニス合宿も楽しく、高校生活を満喫していました。

 

ピアノも相変わらず

「片手しか練習してませ~ん」

な感じで細々と続けていました。

 

けれども、少しずつ上達はしていたので、

先生は「レベルが上がってきたから、

音大生に来てもらうことにしたから、

その先生に見てもらってね。」

と言われ、お教室は先生のお宅のままなのですが、

音大生の雇われ先生にレッスンを受けることになりました。

 

後から知ったことなのですが、

私が幼稚園の頃から習っていた先生は

音大卒業ではなく、保育科卒業の先生だったそうなのです。

この先生のピアノ演奏は一度も聞く機会が無かったのですが、

保育科出身だからか、子どもの扱いがお上手だったのだと思います。

ピアノのレベルがどうとか、というよりも、

ピアノが好きで楽しくやってこられたのは、

本当にこの先生のおかげです。

 

音大生の先生にレッスンしてもらうことになったのですが、

グレード試験やコンクールにも挑戦したい!

と訴えたものの、結局うやむやにされてしまい、

何も前に進んでいかないことに疑問を感じながら

毎週レッスンに通っていました。

 

そんな1年生も終わろうとしていた頃、

進路調査が配られました。

 

「どうしよっかな~」が正直なところでした。

かなりのんびりしていました。

 

学校の教室の掲示板に「音楽科へ進学希望者に補習をします」

という音楽の先生からの貼り紙を見て、

「ピアノ好きだし、音大に進学しよう!」

と思ったのです。

 

そして、音楽の先生のところへ行き

「音大へ行きたいです」と言いました。

 

先生「今、何弾いてるの?」

私  「ソナタです」

先生 「楽典とか、聴音とかは?」

私 「少しだけ・・・」

先生 「今のピアノの先生は受験生見てくれるの?」

私 「さぁ・・・」

 

そこで初めて、音大受験に必要なことは何かを知らされるのです。

私はピアノさえ弾ければ音大に行けると思い込んでいたのです。

 

普通の勉強やピアノはもちろんですが、音楽の理論の勉強や、

音を聞き取って楽譜に書く試験、歌う試験などがあることを知らされました。

そして、私の今のピアノのレベルでは相当厳しいことも・・・

 

学校の音楽の先生は

「受験生をみてくれるピアノの先生を紹介してあげるから

今の教室はやめなさい」とおっしゃったので、その通りにすることにしました。

 

 

音大受験の現実 高校3年生の夏に見放される。

幼稚園からお世話になっていたピアノ教室には

「音大受験したいけど、今の先生だと無理みたいだから、他の先生のところに行きます」

と、言える訳もなく、

「受験勉強で忙しくなるから、ピアノを辞めます」

と言って、受験生を見てくれるという先生のレッスンに通うことにしました。

 

電車とバスを乗り継いで毎週末通うことにした先生に初めてお会いした時のこと。

 

「今の先生は演奏活動はしてらっしゃるの?」

(保育科出身の主婦先生から音大生(何年生だったのか、どこの音大なのか知らされていなかった)

に変わってからも、先生の演奏を発表会でさえも聞いたことが無かった)

 

「今、何弾いてるの?今から受験したいの?遅すぎるわよ」

と散々な言われ方をしました。

 

私の弾き方を見て「かわいそうに」と言われたり

「こんなことも知らないの?!」と言われたり、とても惨めな気持ちになりました。

 

そして、

先生「今すぐテニス部を辞めていらっしゃい!!!」

私 「週に1,2回とか、夏の合宿に参加するくらいなら、在籍していても良いですか?」

先生「は?無理です!!」

 

泣く泣く部活動を退部し、ピアノの練習に取り組みました。

 

音大受験を目指す高校生としては、ものすごくレベルが低いことを考えていたと、

今なら分かります。

 

そして、少しずつ現実が分かってきたのです。

 

まず、レッスン代がとても高額になりました。

私の家は一般的なサラリーマン家庭。

母はパートで働いていましたが、2歳下の弟もいました。

さらに、私のピアノのレベルが低すぎて、先生からは

「レッスンに通うためのレッスンに通った方が良いかもね」

とか、「楽典やソルフェージュの先生にも習わないと」と。

 

とてもお金がかかるのです。

 

しかも、音大の学費・・・

普通の私立大学の2倍。

 

親からも、次第に

「こんなにお金がかかると思わなかった。

趣味で良いんじゃない?」と言われ始めました。

 

「ピアノを買う時に、辞めちゃダメって言ったやん!」

と反論しましたが、「そこまでやれとは、言った覚えがない」と。

  

そして、先生の望むレベルまで上達しなかった私は

高校3年生の夏に破門されました。

 

「あなたのレベルでは音大は無理。

お勉強が普通にできるなら、保育科に行くとか、

趣味でピアノ弾くとかにすれば?

来週から来なくてよいから」

 

 

音大受験を諦めない

まさか、高校3年生になってから、先生に見放されるとは思っていなかったので、

ショックはとても大きかったです。

ショックすぎて、先生に見放されたことを

1週間経っても親に言えませんでした。

  

親に、ピアノの先生から見捨てられたことを告げると、親は「あきらめろ」と言ったのですが、

私は「あと1回だけ、チャンスを頂戴!」

と言って、受験生を見てくれる教室をタウンページで調べて電話しました。

(私が高校生の頃は、今ほどインターネットは普及していませんでした・・・)

 

私「音大受験したいんですけど、見ていただけますか?」

先生「今、何年生?」

私「高校3年生です」

先生「え?!・・・とりあえず、いらっしゃい」

 

試験曲のベートーベンのソナタを弾くと

「何とかなるんじゃない?」と言って下さいました。

そして、受験したい大学、これからしなくてはならないことを

親身に相談に乗って下さり、ソルフェージュの先生も紹介してくださいました。

「ソルフェージュの先生は声楽も大学でトップの方だから、歌も見てもらいなさい」

と言って下さいました。

 

それからのピアノや声楽の練習は今まで以上に、本当に死に物狂いでした。

 

必死の受験勉強

高校3年生の夏には、自宅から約1時間で行ける音大の夏季講習にも行きました。

夏季講習は何とかついていけるレベルではあったのですが、

その大学の雰囲気が私はどうも好きになれず、第一希望は大阪芸術大学にしました。

大阪芸術大学の音楽教育学科に進学したいと思ったのは、

ピアノと声楽を同じくらい力を入れて勉強できることと、

副科でオーケストラの楽器演奏ができるということでした。

 

声楽というものに出会ったのは、破門されてからなので、

高校3年生の夏です。

ソルフェージュ、楽典、声楽を指導して下さる先生が

ピアノ科を卒業した後、声楽科で芸大に入学し、大学院生として学んでいらっしゃったので、

その影響もあり、歌がもっと上手になりたい、と考えるようになったからです。

 

音大の短大を滑り止めにして、大阪芸術大学を第一希望に決め、

勉強と練習に励みました。

実技試験のために、ピアノ、声楽(イタリア歌曲と日本歌曲)、

コーリューブンゲン(音程を正しく歌う練習)、新曲視唱(初めて見た楽譜をその場で歌う)、

聴音、を練習し、楽典(音楽理論)の問題集をひたすらこなしていきました。

学校の休み時間は、音楽史と楽語を暗記する時間に費やしました。

 

11月の推薦入学試験で、音大の短大と、第一希望だった大阪芸術大学の両方に見事合格。

音楽高校出身の受験生が不合格になっていた中での合格だったので、

頑張りが報われて、本当に嬉しかったです。

 

 

大阪芸術大学での4年間

ピアノと声楽は毎週個人レッスンがあります。

試験は前期と後期の年2回。

ピアノ科も声楽科も管弦打楽器専攻も音楽教育学科も、

実技試験は容赦なく混合で試験結果が貼りだされました。

ピアノ専攻なのに、それ以外の学科の人の方がピアノの成績が上、ということもありました。

 

副科で専攻する楽器はヴァイオリンを選択しました。

全く触ったことがない楽器だったのですが、

弾けるようになりたい、と思っていたからです。

こちらは副科の生徒数人でのグループレッスンでした。

1週間に1度はオーケストラの授業があり、

みんなで合奏する迫力を初めて知った時は、とても感動しました。

副科とはいえ、手は抜きたくなかったので、

レッスンがない日もヴァイオリンを持って大学に行き、

空き時間に練習することで、少しずつ上達していき、

卒業制作の演奏会では、第1ヴァイオリンの1プルトを務めました。

 

ピアノと声楽は長期休み中は大学の先生のホームレッスンに通い、指導して頂きました。

声楽では二重唱アンサンブル、学科の合唱指揮者として卒業制作の演奏会に出演。

卒業論文「音楽教育による音痴の発生」も卒業制作展に出品されました。

 

ミュージカルやオペラなどの上演実習もとても勉強になりました。

絵本でも有名な「11匹のネコ」を大学近くの幼稚園で公演したり、

ホールで「回転木馬」「天使にラブソングを」のミュージカルを衣装をつけて公演したりしました。

振付の先生のスタジオへ行き、ダンスの振付をしてもらったのも、

とても貴重な体験でした。

 

 

卒業後の進路

大学入学後すぐに、子どもの頃に習っていたピアノの先生から連絡がありました。

「芸大に合格したって、噂で聞いたよ。

出張レッスンして欲しいっていう生徒がいるんだけど、

レッスンしてみない?」

と声をかけて頂いたのをきっかけに、大学在学中から自宅でピアノ教室を開業。

 

サロンコンサートや、特別養護老人ホームでのピアノ演奏のボランティアに

お声かけ頂く機会にもめぐまれました。

 

卒業後は自宅でのピアノ教室と並行して学校で講師として音楽の授業を担当。

中学1種と高校1種の免許は取得していたものの、

小学校教諭の免許は取得していなかったので、

さらに、教育について学びを深めるために、働きながら

佛教大学通信教育課程教育学部に入学し、小学校教諭1種の免許も取得しました。

 

音楽科の教科主任も務めながらのピアノ教室は大変でしたが、

中学校に海外からの教育視察団が来校した時は、選抜した生徒と一緒に、お琴演奏と日本歌曲演奏を披露して好評を博し、

音楽教育がますます楽しくなっていきました。

 

 

結婚して東京へ

東京へは結婚してから引っ越してきました。

 

2018年に子どもの小学校入学を機に、ピアノ教室を再開しました。

ゼロからのスタートです。

 

チラシを見て来てくださったシニアの方が一番最初の生徒様でした。

その後、ホームページを見て来てくださる方や、

生徒様の紹介で入会して下さる方が少しずつ増え、今にいたります。

 

当教室の生徒様は、本当にピアノが好きで、楽しんでいらっしゃる方ばかりです。

素敵な生徒様に恵まれて、毎日感謝しながらレッスンしています。

 

私は前述した通り、高校3年生の夏にピアノの先生から見捨てられました。

とても、悲しかったし、つらかったです。

大きな挫折をした分、弾けない人の気持ち、上手になりたい人の気持ちが誰よりも分かります。

初歩の段階から正しい指の形、正しい弾き方を伝えることがどれほど大切か、私はよく知っています。

楽譜にドレミを書き込んでいては、いつまでたっても自力で楽譜が読めないことも知っています。

先生にお手本を弾いてもらってばかりいては、自分で考えることができないことも知っています。

 

それらの経験を生かして、基本を大切にしたレッスン、上達するのを諦めないレッスンをしています。

 

 

好きな作家

向田邦子

『無名仮名人名簿』『眠る盃』『夜中の薔薇』などのエッセイが特に大好きです。

中学生の時に、学校の教科書で「字のない葉書」を読んでから、向田邦子のファンになりました。

 

好きな本

「アルジャーノンに花束を」

 アメリカ合衆国の作家ダニエル・キイスによるSF小説で、何度読んでも感動します。

 

好きな漫画

「動物のお医者さん」

佐々木倫子の漫画で、獣医師を目指す学生の日常をコメディタッチで描いている作品です。

何回読んでも笑えるところが大好きです。

特に、101話で獣医学部の生徒がエキストラとしてオペラ「トスカ」に出演して、大失敗をするところが好きです。

 

好きな映画

「ライフ・イズ・ビューティフル」

1997年のイタリア映画です。ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演作品。

第二次世界大戦下のユダヤ人迫害(ホロコースト)を、ユダヤ系イタリア人の親子の視点から描いた作品です。

学生の頃から大好きな映画だったのですが、結婚して、子どもがいる今は、

もっと心が締め付けられ、何度見ても号泣してしまいます。

 

好きな食べ物

牡蠣

お友達から殻つき牡蠣を頂いた時、レンジでチンするだけで、

簡単に殻から外して美味しく食べることができるよ、と教えてもらって、ビックリしました。

たまに、一人でオイスターバーへ行ってます。

 

 

好きな曲

好きな作曲家はショパンとシューマンです。

ベートーベンの「エリーゼのために」が弾けるようになりたくてピアノを始めましたので、

今でも思い出深い曲の1つです。

その後はショパンの「幻想即興曲」に憧れ、それが弾けるようになると、

「別れの曲」「英雄ポロネーズ」「舟歌」も弾けるようになりたい。と思うようになりました。

リストの曲では「愛の夢 第3番」がお気に入りです。

 

 

講師の演奏


「ロングバケーション」というドラマで使われていた

”Close to You~セナのピアノ~”を弾きました。

「ふるさと」 高野辰之作詞・岡野貞一作曲による文部省唱歌 大人の生徒様の中には、クラシックを練習されている方や、ポップスを練習されている方が多いですが、

文部省唱歌や、日本歌曲、童謡などがお好きで練習されている方もいらっしゃいます。 練習していらっしゃる曲が素敵だったので、私も弾いてみました。